しゃるゝの占い雑記

占い師しゃるゝのこまごまを配信するブログです。

プロフィール(生い立ち、趣味等)

こんにちは、しゃるゝです。

 

今回は、日頃Twitterツイキャス配信で絡んでくれる方々はざっくり僕がどういう人であるかわかると思いますが、ブログやHPで僕を知った方のために、占いの事も含めて自己紹介を書きます。

 

みたいなテンションで書いていたものの、書いている途中でこんなですます調で読んでて面白いかな?と思ったので、崩した言い方で書いていくことにしたよ。

かなり長い記事になるけど、よかったら付き合ってね。

壁|・ω・`)<あ、顔文字も好きです。心の叫びは私が代弁してしんぜよう。

 

アイコンについて

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薄紫のカラーイメージに似顔絵イラストの半分で反対向き。

しゃるゝの逆位置。意味は正解が出ないことをいつまでもよく考えよく悩む。

(´・ω・`)<あまり頭が良いとは言えないね。

今はあご髭だけだけど、将来は鼻の下にもどじょう髭を生やしたい。

半分なのは顔が堀が深くてハーフっぽいねってよく言われるから。

(´・ω・)<そっちじゃないね。

 

プロフィール

しゃるゝ(占い師)

岡山県南部出身、在住

1992年4月11日 19時1分生まれ

2人兄弟の長男 クリスチャン2世

ギター、ベース、和太鼓の演奏やイラスト、音楽、動画制作が趣味のクマさんBody

イラストレーター、絵本作家、作曲家、作家、声優など・・・自分の世界を表現する仕事を夢見ていた

(´・ω・`)<↓まだまだ勉強中だけどこんなの描くよ。クリックででかくなるよ。

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生い立ち(占い開業に至るまで)

幼い時からピアノ教師だった母の影響で音楽に親しんだ。幼児の時にモーツァルトアイネクライネナハトムジークのアレンジ曲を流す度に立ち上がって指揮っぽい事をしたのが伝説。

(ノシ´・ω・)ノシ<こうやってやってたらしい。

 

小中学校の頃は落ち着いていて、いじめかそうじゃないかの微妙なラインの立ち位置で、あまり素を出すことはしなかった。

(´・ω・)<ビビリだったから。

教室の隅で本を読んだり、絵を描いたり、静かな印象だった。

(;´・ω(´・ω・)<ビビりだったから。(2回目)

 

人の意見に乗っかることも多かったが、自分をもっと出したいと思っていた。

誰にでも優しくできた反面、誰にでも利用されるような子だった。

(´・ω・)<あれね、将来いいお父さんになるねって言われるようなタイプのあれね。

 

部活は音楽好きが高じて吹奏楽部へ入部するものの、人間関係が上手くゆかず半年で退部。丸い体してキューティーハニー踊らされたのは今でもよくわからない思い出。

(´・ω・`)<男1人女50人。そりゃまあキューティーハニーにもなるわな。

 

以後パソコンと写真と科学だったかな、いろいろ合わさった科学部で部活生活を過ごした。親友は大体ここ出身。

(´・ω・)親友は数人いれば多い方だよ。ほんとだよ。

 

高校に入ってから、このままの性格で過ごす学校生活は楽しくないと思い、第一印象から明るい人柄で人と接することに挑戦。

結果は良く、あらゆる場面でリーダーを務め良い成績へと導いたり、部活も吹奏楽部の時の唯一僕の味方だった恩師の女先輩がマネージャーをしていたことから、運動が好きでもなければ運動部の経験もないのにウエイトリフティング部に吸収されたりもした。

正直楽しかった。

(´・ω・)<いや進学先に恩師いると思わないじゃん。入学即日に、あ!しゃるゝ君じゃん!入って!ぐらいの吸収パワー。ダイソンもびっくり。で、しかもそこで知り合った先輩が今の趣味の和太鼓へ誘ってくれた人だから何があるかわかんないね。

 

中学校の時の絵描き好きが高じて、美術部や漫画同好会も兼部する経験を持つ。

(´・ω・)<結果ウエイトリフティング部の成績は伸びないわ、絵自体もそんなに上手くないわ、忙しすぎて体調崩して学校に行けなくなってそのまま通信制の高校へ転校するわで大変だったのよ。後悔はしていないけれど。

 

クリスチャン2世だったので、幼少の頃から毎週日曜日に教会へ行っていたが、その時からあまり好きで行っていたわけではなく、高校卒業後ついに自分の宗教観が自分の価値観と違ってきていることに気づき、同時にタロット占いに興味を持ったため、いよいよ教会に全く行かなくなった。

(´・ω・)<態度で示してはいたんだけど、無理やり連れて行かれてた。

 

教会を通して霊的な経験を得たこともなければもちろん自分に対する自信もなかった。

周りにはあったように振る舞っていたけれど、周りの僕に対する期待が大きかったからそうせざるを得なかったが残念ながら正しい。

祈っても答えを得ることができなかったから、神の存在すらも怪しく思っていたぐらいなんだけれど、タロット占いは悩みに対して引いたらすぐに答えが出る。

その衝撃というか、感動というか。絶対に忘れられない。

(´・ω・)<今ではキリストの教えのおいしいところだけを飲み込んでいる。仏教イスラムの教えも良いと思う。

 

そうして過ごすうちに突然社会に放り出されてフリーターに。

スーパーの裏方に始まり、警備員の仕事で地獄を見たり、ヘルパー資格を取って祖母の介護を短い間だったけどしてみたり、保育の学校へ行って無責任にも中退してみたり、パワハラ被害に遭ったり・・・

高校を転校したあたりから、いわゆるレールというものを片っ端から外れる人生を送った。

自然といろんなものが信じられなくなって、占いもしなくなっていた。

(´・ω・`)<今も引きずっているけれど、この時期の心はとにかく不安定だったんだ。死も考えたし、生きる意味をたくさん見失ったね。社会のせいにしてみたり、親のせいにしてみたり、ひたすら自分を責めたり。したいことは山ほどあったけど、それをするために避けられない苦労から逃げてきた結果がこれなんだ。

 

25歳になる年の初め。前々からやっていたツイキャスで、急に占いを配信で振る舞うようになった。

その前からツイキャスで占いを配信していたけれど、1月1日になった途端に、仕事のように7時間も8時間も占いを続ける配信が続いた。

(´・ω・`)<これはね、2017年からは占い頑張るぞーとか前から予定していたわけでもなくて、本当に1月1日になったその日の深夜に急に朝まで占いをし始めたの。何かが宿ったかのようにね。運気の流れが急激に変わったのを感じたんだ。

 

もちろん急にそんなことをしだしたものだから、1か月ぐらいで体調を崩してお休みしたりもしたんだけど、そこから占い自体の興味や魔術、スピリチュアルの事への興味が、どこからか湧いて出てくるようになった。

そして25歳になってから1か月、占い業を正式に開業した。

(´・ω・`)<実はね、20歳の頃にも1回占い業を始めた事があるんだ。1年も経たずにやめちゃったんだけどね。当時はお客さんが来ないことにすごく焦っていたのを今でも覚えているよ。恥ずかしいけど、その当時開業してから一人も有料で占ったことがなかったんだ。占い好きなのはよかったけど社会経験もそんなになかったし、偏った考え方もしてた。そんな感じでもうだめだーって思って一回失敗したことになっちゃったんだけど、でももう一度やりたいって思えるほど、僕にとって占いっていうのはとても大きな存在になったんだ。

 

今では保育の大学に通っていた時からのご縁で子供の面倒を見る仕事もしながら、占いで力になれる人を探している。

(´・ω・`)ノシ<占いどうかなー!?んー!?どうかなー!?いらないかなー!?困ってないかなー!?話聞かせてもらえないかなー!?

このブログについて。

こんにちは。初めましての方は初めまして、しゃるゝです。

 

 

このブログは、占い鑑定を行っている僕が、日々の事や鑑定の事、占いの事を書き、僕の占いに興味を持っていただくためのものです。

 

日々の事というのは、個人的な占いの結果を考察してみたり、趣味だったり、詩を書いてみたりと、僕個人の事を幅広く書きます。

 

鑑定の事というのは、鑑定を依頼してくださった方へどういった鑑定文をお書きしているのか、個人が特定できない範囲で少しだけ公開します。

僕へ鑑定を依頼したいけれど、どういった鑑定をする人なのか?またその占いの雰囲気や、システムのあれこれもしっかり書きますので、僕の占いに少しでも興味がある方は是非参考にしていただきたいです。

 

占いの事というのは、僕独自の観点で見た占い自体の"知識"に関することで、コラムや占いのあれこれを考える記事が中心になります。

 

 

またTwitterも日々更新しています。鑑定は活字のみ受け付けていますので、TwitterのDMでも受け付けています。

その他料金等諸々の事はホームページに書いていますが、わからないことがありましたら、お気軽に諸連絡先へお問合せください。

 

このブログを通して出会える方々に心から感謝しています。ありがとうございます。

どうぞこれからもしゃるゝをよろしくお願いします。

女神

貴女は私の宗教に興味を持った

 

私自身すすんで慕うことがなく

既に距離を置いている

生まれながらの宗教に

 

その教えを信仰するか否かはどうでも良い

 

だが私は

初めて気になる異性から

自身の宗教に対する理解をいただけたのだ

 

その時に貴女は

私の心に宿る女神になったのだ

ギャラリー

貴女は私の作品を纏った

私の手の中で生まれたものを

貴女は個として身につけた

 

名も無く

程度も低い芸術家の私だが

貴女はそれでも

自らの凡ゆる隙間を私の作品で埋めてゆく

 

人に見せつけるかのように

 

どうか離れないでいてほしい

嫉妬

青年の間

苦味に対して無意識に苦手を覚え

どこが美味しいのか

なにが楽しいのか

わからないものはたくさんあった

 

大人になって

それらの苦味に対して個々人合う合わないはあるにしろ

ある程度楽しむことができ始めてきたかもしれない

 

そしてふと

この苦味のことで

青かった過去を思い出す

 

私の恋の話だ

掘り起こされた思い

とても気持ちが悪い

 

この懐かしくも新しいかのような

埃をかぶり、下の方で埋もれていたかのような

脱皮し、古い自分が身の回りに纏わり付いているかのような

 

とにかく気持ちが悪い

 

しかし感じる

遠くにいる私が

これからこの感触の悪い気持ちを昇華し

書き連ねてゆくものを欲している

 

この

 

まるで初めてのような感覚は忘れてはならないと

 

いずれまたこの気持ちが

他の誰かの知覚をくすぐる事を

 

この何もないところに積み上げてゆく必要性を私は確かに感じていて

 

それを止めようとすることで生まれるストレスすらも知覚している今だからこそ

 

書いて残しておかなくてはならないと強く感じている

 

思いの対象に感づかれてしまったとしても一向に構わない

 

この素直な気持ちに抗うこと無く

湧き出るままに

 

貴女への思いを綴ってゆくと誓ったこの日のことを

 

私はずっと忘れる事はないだろう

 

それもまた私の芸術であり

 

宿命であったのだ

もう恋で傷つきたくないと思っている人へ。

もう傷つきたくないと思って、もう恋なんてしない!と思っている人は、僕も思ったことがあるほど比較的メジャーな恋愛感情になってきました。

しかし、本当に恋をしなくなって良いのでしょうか?

人はどんなに心が傷ついたとしても、基本的には時間とともに癒えてくるものです。

加えて個人差もあります。癒えるのが早い人もいれば、とても時間のかかる人もいます。必ず心の傷は癒えるようにできています。

しかし、傷の癒えるのが早い人と遅い人には決定的な差が一つあります。

 

突然ですが、皆さんは、交通事故に遭った事はありますか?

僕は助手席に座っていた時に、こちらが右折、向こうが直進の形で正面衝突し、目の前まで車が速い速度でやってきたことがあります。

一瞬、死を覚悟しなければならないレベルの恐怖に、幸いケガはなかったのですが心が大きく傷ついてしまいました。

その時ふと思うわけです。

 

「運転は怖い。運転をしたくない。」

 

しかしその時僕は免許が取得できる直前の年齢で、間もなく教習所に通うようになったのですが、その時の心の傷が癒えないままだったので、ブレーキは強く踏めてもアクセルが踏みづらかったり、アクセルとブレーキに意識が行き過ぎてクラッチ操作がまともにできない状態でした。

交通事故の恐怖から、アクセルを踏んで前になかなか進むことができなかったのです。

最終的にMTからATに切り替えてなんとか取得する始末でしたが、免許を取った後も車を運転する恐怖はしばらく続きました。

 

恋愛もこの車の運転と同様で、お別れした時はまるで事故を起こしてしまったかのような心の衝撃だったように思います。進んで経験したい感覚ではないはずです。

その時に無意識的に「もう恋なんてしたくない」と思うわけです。自然と次の恋愛へのブレーキがかかりやすくなります。

 

しかし、車はエネルギーがあればどこまでも遠くに行くことができますし、人によっては必要不可欠なところに住んでいる場合もありますよね。

恋愛も同様に、エネルギーがあれば、恋愛を通してさまざまな経験をすることができます。

 

このエネルギーを生むための行動を、恐怖を抱いている内でもすることで、心の傷が癒えるのが早くなります。

つまり車の運転も、怖くても少しずつ運転を重ねる。恋愛も、怖くても少しずつ気になる相手を知ってゆくことです。

傷が癒えていない内からそういう行動をするのはひじょうに勇気が要りますし、しばらく警戒することでしょう。

ですがそれで正解なのです。恐怖経験によって危機を察知する力が研ぎ澄まされている時なので、相手のことをよく見よう、失敗しないようにしようという気持ちが自然と備わっているのです。

失恋で受けたダメージは、実は良きパートナーを探すために有用なものと言えるのです。

 

ですが無理をする必要性はありません。本当にもう恋愛は要らないと思っている方は、車の運転同様に運転をしない、諦めるという選択をすることもできます。選択の自由はあります。

そしてまた恋愛がしたくなった時に、また始めてもいいんです。

 

ただ、きっとその時のあなたは、再び最後の恋の恐怖を思い出すことでしょう。

なかなか一歩前に進めないままの自分と向き合うこととなるでしょう。

 

冒頭に言いました、「傷の癒えるのが早い人と遅い人には決定的な差が一つあります」というのはここです。

その決定的な差というのは、「恐怖に向き合い、少しずつ慣らし、克服できていたか」ということです。

 

僕は今、運転がすごく楽しいです。事故の恐怖を警戒心に変えて、無事故で安全な車の運転ができています。

それは、事故の恐怖を抱えていても、焦らず車と向き合ってきたからだと思っています。

きっと恋愛にも、同じことが言えるのではないでしょうか。