もう恋で傷つきたくないと思っている人へ。
もう傷つきたくないと思って、もう恋なんてしない!と思っている人は、僕も思ったことがあるほど比較的メジャーな恋愛感情になってきました。
しかし、本当に恋をしなくなって良いのでしょうか?
人はどんなに心が傷ついたとしても、基本的には時間とともに癒えてくるものです。
加えて個人差もあります。癒えるのが早い人もいれば、とても時間のかかる人もいます。必ず心の傷は癒えるようにできています。
しかし、傷の癒えるのが早い人と遅い人には決定的な差が一つあります。
突然ですが、皆さんは、交通事故に遭った事はありますか?
僕は助手席に座っていた時に、こちらが右折、向こうが直進の形で正面衝突し、目の前まで車が速い速度でやってきたことがあります。
一瞬、死を覚悟しなければならないレベルの恐怖に、幸いケガはなかったのですが心が大きく傷ついてしまいました。
その時ふと思うわけです。
「運転は怖い。運転をしたくない。」
しかしその時僕は免許が取得できる直前の年齢で、間もなく教習所に通うようになったのですが、その時の心の傷が癒えないままだったので、ブレーキは強く踏めてもアクセルが踏みづらかったり、アクセルとブレーキに意識が行き過ぎてクラッチ操作がまともにできない状態でした。
交通事故の恐怖から、アクセルを踏んで前になかなか進むことができなかったのです。
最終的にMTからATに切り替えてなんとか取得する始末でしたが、免許を取った後も車を運転する恐怖はしばらく続きました。
恋愛もこの車の運転と同様で、お別れした時はまるで事故を起こしてしまったかのような心の衝撃だったように思います。進んで経験したい感覚ではないはずです。
その時に無意識的に「もう恋なんてしたくない」と思うわけです。自然と次の恋愛へのブレーキがかかりやすくなります。
しかし、車はエネルギーがあればどこまでも遠くに行くことができますし、人によっては必要不可欠なところに住んでいる場合もありますよね。
恋愛も同様に、エネルギーがあれば、恋愛を通してさまざまな経験をすることができます。
このエネルギーを生むための行動を、恐怖を抱いている内でもすることで、心の傷が癒えるのが早くなります。
つまり車の運転も、怖くても少しずつ運転を重ねる。恋愛も、怖くても少しずつ気になる相手を知ってゆくことです。
傷が癒えていない内からそういう行動をするのはひじょうに勇気が要りますし、しばらく警戒することでしょう。
ですがそれで正解なのです。恐怖経験によって危機を察知する力が研ぎ澄まされている時なので、相手のことをよく見よう、失敗しないようにしようという気持ちが自然と備わっているのです。
失恋で受けたダメージは、実は良きパートナーを探すために有用なものと言えるのです。
ですが無理をする必要性はありません。本当にもう恋愛は要らないと思っている方は、車の運転同様に運転をしない、諦めるという選択をすることもできます。選択の自由はあります。
そしてまた恋愛がしたくなった時に、また始めてもいいんです。
ただ、きっとその時のあなたは、再び最後の恋の恐怖を思い出すことでしょう。
なかなか一歩前に進めないままの自分と向き合うこととなるでしょう。
冒頭に言いました、「傷の癒えるのが早い人と遅い人には決定的な差が一つあります」というのはここです。
その決定的な差というのは、「恐怖に向き合い、少しずつ慣らし、克服できていたか」ということです。
僕は今、運転がすごく楽しいです。事故の恐怖を警戒心に変えて、無事故で安全な車の運転ができています。
それは、事故の恐怖を抱えていても、焦らず車と向き合ってきたからだと思っています。
きっと恋愛にも、同じことが言えるのではないでしょうか。